ワールドビジネスサテライト,5/23,スミスの本棚,玄侑宗久
GUEST056 作家 玄侑宗久(56)
2001年に
で
芥川賞を受賞
住職を務める福柔寺は
福島原発の西45キロにある
あの日から震災と原発に向かう日々が続く
その玄侑が20代で出会い
何度も読み返した本を推薦したいという
著者 岡倉天心(1863~1913)は
明治時代に日本の伝統美術を西洋に広め
ボストン美術館では
東洋美術長を務めました
天使は1906年にアメリカで
茶の本を出版
茶道をテーマに英語で
東洋の文化の素晴らしさを訴えました
玄侑
「鯨を捕る文化性を日本ではきちんと説明できずにいる」
「外国から責められて沈黙している」
「西洋化していく中で初めて東洋の文化の」
「素晴らしさを主張した方だと思う」
まことに不思議なことに、
かくも相隔たった東西の人情は
茶碗の中で出会っている。
東西を問わず重んぜられているのは
茶道というアジアの儀式だけなのである。
白人はわれわれの宗教と道徳を
嘲笑してきたが、
この褐色の飲料は
ためらいなく受け入れたのである「東洋で生まれながら西洋を完全に席巻してしまったというのは」
「お茶しかないんですね」
いま玄侑さんがこの本を薦めるのは
茶の文化が消える危機感があるからです
「朝起きてまずお茶を飲むお客様にお茶を出す」
「そういう時間が無くなった時に」
「気がつかないうちに身の回りから消え失せている価値観」
「というのがちょっと怖いですよね」
茶の本が出版された前の年
日本は日露戦争(1904~1905)に勝利
列強諸国の評価が高まる中で
天心はこう書いていました
西洋人は、日本が平和の
おだやかな技芸に耽っていたとき、
野蛮国とみなしていたものである。
もしもわが国が文明国となるために、
身の毛もよだつ戦争の栄光に
拠らなければならないとしたら、
われわれは喜んで野蛮人でいよう。東日本大震災は
日本人としての生き方を考える切欠となりました
茶の本にこそその答えはあると玄侑さんは言います
「外国のトップから学んで日本風にアレンジしてきたわけです」
「ところが最近は学ぶものが制度やシステムそのもの」
「和魂洋才とは言えない」
「もう心を売り渡してるんじゃないか」
「根っこを見つめ直して」
「日本人としての生き方を考えたい」
”たすき”を渡す人は―
「志の輔 師匠」
「創作落語が素晴らしいんですよね」
6月6日 GUEST057
玄侑宗久→落語家 立川志の輔