ワールドビジネスサテライト,4/25,GLOBAL WATCH,四川地震から見えたもの
from中国
四川大地震発生から2日後の
22日 午前5時すぎ
大きな荷物を抱えて
震源地の村へ向かう人々の姿がありました
杜さん(42歳)は出稼ぎ先の河北省からバスを乗り継ぎ
丸二日かけて戻ってきたのです
杜さん
「地震が起きてすぐ帰ることにした」
「家のは子供がいるから」
交通が規制されています
被災地にある自宅までは山道をあと
30km以上歩かなければなりません
今回の地震は
父親や母親が出稼ぎに出ている貧しい農村に
壊滅的な被害をもたらしたのです
山肌が崩れ巨大な石が転がる山道を抜けて
震源地の村へ徐々に被害が増していきます
四川省 雅安市
5年前の大地震の教訓は
貧しい村には届いていませんでした
劉さん(22歳)
出稼ぎ先のチベットで妻と息子の訃報を聞く
Q.最期に立ち会えましたか
劉さん
「・・・」
劉さんの母
「まごを抱いて逃げたが母親と弟は逃げられなかった」
「父親が遠いチベットにいたので」
「救助どころか瓦礫の下から探すのも時間がかかった」
避難生活の取材で頻繁に目にするのは
高齢者そして子供と女性
父親と若者の姿はソコにはありません
道路わきで不安そうに座っている少女を見つけました
10歳の少女
両親とも出稼ぎに
今はココで両親を待つしかありません
地震のニュースを聞き
村には出稼ぎ先から続々と人が戻ってきていました
義理の妹と戻ってきた楽さん(40歳)
もその1人です
楽さん
「36時間かけて帰ってきました」
「列車でね」
遠く離れた砂漠地帯で建築関係の仕事をしています
「仕事は大変ですよ寒い場所だし砂だらけだし」
Q.どうしてそんな所で仕事をしている
「それはさ少しでも稼げればと思って」
次々と倒壊した町並みが楽さんの目に入ってきます
ようやく家に着きました
そこにあったのは瓦礫の山
「もう住めないねグチャグチャだ」
「・・・」
楽さんの妻
「食料も何も持ち出せなかった本当に何も・・・」
家族の命を守ること
そのことだけに必死だったのです
楽さん
「25〜26歳から出稼ぎに出た」
「年に1回しか帰らずに働いたのに」
出稼ぎのお金でようやく建てた家は
あまりに地震に弱い家でした
取材中
夜明けに出会った杜さんと再び会うことができました
家が大きく揺れたとき
妻は子供を抱いて部屋を走り出したといいます
杜さんの妻
「夫は徹夜で歩いて帰って来てくれました」
家にはもう住むことはできません
しかし娘と息子は無事でした
杜さんの娘
「心の中ではもう父に出稼ぎに行ってほしくない」
「けど仕方がない」
「私も弟も学校に通っていてお金が必要です」
「父が1人で家族を養ってくれているから」
中国の現在の経済発展は
こうした農村の上に成り立っていることを
意味軸も今回の地震は示しました
中国の新指導部は
この現実にどう向き合うのでしょうか
*悲劇は繰り返される?